生涯学習音楽指導員 音楽指導者 東京都 森田牧さん
- ■活動テーマ:
-
大人の指導から見えてきたウェルビーイング(*1)
*1)ウェルビーイング:心身共に満たされた状況を表す - ■目次:
- ■活動開始時期:
- 1986年~現在
- ■場所:
- 大田区を拠点に首都圏
- ■対象:
- 50代~80代
- ■活動内容
1.きっかけ
ヤマハ音楽教育システムで長年子供を指導しておりましたが、1986年に開設された「ヤマハポピュラーミュージックスクール」で大人の生徒を指導することになりました。1998年にはヤマハ音楽研究所の研究テーマ「高齢者の為の音楽プログラム」を神奈川県と千葉県の高齢者施設でレッスンを担当する講師として参加しました。シニア層に特化したレッスンはこれが初めてです。目的は、高齢者のクオリティー・オブ・ライフ(*2)を高めるに当たり効果のある「音楽プログラム」を構築することでした。
*2)クオリティー・オブ・ライフ:毎日が充実して心身が満たされた生活
研究内容はカリキュラム・教材・指導法の開発と検証、受講者の心理的変化の定点観測です。明治、大正生まれの受講者には、鍵盤経験はおろか音楽学習が初めての方もおり、今までの指導経験では通じないことが多く試行錯誤の連続でしたが、このときの経験が現在の高齢者指導では大変役に立っています。2000年からは自治体(東京都大田区)の大人のピアノ教室他、再びヤマハ音楽研究所での高齢者を対象にした実験教室等、様々なプログラムを経験して現在も都内でグループと個人両方のレッスンを行っております。ここでは「健康と音楽」「大人のレッスン(ピアノ・エレクトーン)」の二つをご紹介いたします。
2.具体的な活動
A.運動に音楽を取り入れるプログラム「健康と音楽」
(1)対象
50代~70代
(2)目的
音楽と運動を結びつけ体力の維持・増進と脳の活性化を図る。
受講者は音楽経験がなくても運動が苦手な方にも無理なく続けられ、音楽とやさしい運動を組み合わせて 心肺・口腔(こうくう)機能、運動機能、認知機能を総合的に維持向上することを目的としています。
(3)内容
1回60分で月3回のグループレッスン
<ウォーミングアップ>
穏やかな音楽に合わせた準備体操
<リズムウォーク>
軽快な音楽に合わせて10分間持続して行う歩く動作を基本とした全身運動
<リズムエクササイズ>
音楽に合わせて講師の短いボディパーカッションを模倣、ハンドクラップ(手拍子)、ボディスラップ(腿(もも)をたたく)、ストンプ(足で踏み鳴らす)
<レジスタンス・エクササイズ&ストレッチ>
音楽に合わせて行う筋力トレーニング、ももの前側(大腿(だいたい)四頭筋)ももの裏側(ハムストリングス)トレーニングの後でエクササイズした部位をストレッチ
<ブレス&ボイスコントロール>
音楽に合わせた呼吸のコントロールと発声、ロングブレス、スタッカートブレス、母音と子音の発声、表情筋のトレーニングなど
<リズムステップ>
音楽に合わせた簡単なダンスステップ
使用する曲の一例
・ダンシング・クィーン(ABBAの代表曲)
・ハッスル(1975年代ディスコブームで大ヒットした曲)
・コパカバーナ(バニー・マニローの代表曲)
<シングアウト/ソングクリエイト>
ステップや振り付けを伴うレパートリー歌唱。クリエイトは言葉(歌詞)を考える歌づくり
使用する曲の一例
・翼をください(フォークグループ赤い鳥の代表曲、幅広い層で歌い継がれている)
・涙そうそう(沖縄の歌手夏川りみの代表曲。詞-森山良子曲BEGIN)
・夢で逢えたら(1988年フジTVのバラエティ番組の挿入曲)
・銀座カンカン娘(1949年映画の主題曲で女優高峰秀子が歌う)
<クールダウン>
音楽に合わせて終了に当たってのストレッチ
(4)効果
- 音楽に合わせて歩くことにより気分を明るくさせ、モチベーションを上げる効果があり、運動と音楽の親和性の高さを感じます。
- レッスンに通われているうちに受講者の健康志向は高まる傾向にあり、意識して日常生活でも歩き、情報にも敏感になり、好循環が見られます。
現在 80代半ばの方が2名在籍していますが、クラスの仲間と会うことを楽しみにしながら、有酸素運動や筋力トレーニングをこなされています。長期的な運動習慣がもたらす健康への効果は既によく知られていますが、2つ動作を同時に行うデュアルタスク(例えば、リズムに合わせてステップを踏みながらジャンケンをする等二つのことを同時に行うこと)により、脳の活性化を図り運動を挑戦してくださっています。
コロナ禍時は、運動不足で気分も落ち込みやすかったという話も聞きました。ただし頑張り過ぎると翌日、翌々日になって不調を訴える場合があるので、余力を残せるよう強度には注意しています。こうした健康維持を目的とした音楽レッスンは自治体(東京都、葛飾区)でも、30~40人を対象に行いました。
(5)受講者の入会理由
・気軽に運動を始めたい
・病院で運動を勧められた
・少人数の教室を探していた
・ご家族の勧めがあった
B.大人のピアノ・エレクトーン指導法
大人のレッスンといっても対象年齢は幅広いです。ここでは大人になってから初めて楽器を始める方、特にシニア層の指導について日頃気を付けていることを挙げてみます。
(1)受講者の心身の状態を把握する
高齢者と言っても十人十色、それぞれのバックボーンにより考え方も違い、健康状態も様々なことからひとくくりにはできません。同じ年齢の高齢者でも手指の動きが硬く、薬指小指がほとんど動かない方もいれば、動きが柔らかく手指の巧緻性が高い人もいます。本人の健康状態の変化やご家族の病気や死別など家庭の状況により、それまで前向きに取り組んでこられた方でも、気分が沈み一気にやる気がなくなる場合もあります。心身の状態により活動量にはそれぞれのペースがあるということも高齢者に接するうちに実感しました。
(2)レッスンのルールを理解していただく
レッスンの進め方、教材を説明して納得していただき入会へと至ります。習い始めるときはポジティブな状態にあるので、決め事、月謝の納入日、欠席の場合に振替レッスンの有無、遅刻した場合に延長はできないなどのルールは最初の段階で話すとスムーズです。その後、忘れることもあるので病気、けが、入院など長期で休む気配があるときは、再度説明をなるべく早めにしています。
(3)受講者の望んでいることを把握する
ここが一番大切なところで、次の(4)指導の留意点に関連してきます。
・老後の趣味として楽器に挑戦したい
・楽しく学びたい
・1曲でもよいから、憧れの曲を弾いてみたい
・楽譜が読めるようになりたい
・本格的に学びたい
等々です。
(4)指導の留意点
①短期目標の設定
効率的にテクニックをつけ簡単なレパートリーを仕上げて短期目標を果たせるようにします。ジャーナリストでアフロ記者としても知られている稲垣えみ子氏著書「老後とピアノ」の中で、『いつか弾きたい曲を弾くために、まずハノン(*3)に懸命に取り組んだところで、その「いつか」がやってくる前に人生は終わるかもしれない』という件りが物語っています。料理で例えるならば、初心者でも簡単レシピで、いつでも作れるメニューが1品か2品あるという状態が大切ということです。
*3)ハノン:フランスの作曲家ハノンが作成した指のトレーニングのためのピアノ教則本。短い同じ音形を繰り返す。
②達成感、満足感を持ってもらう
どこまで弾けたら仕上げとするか、完成度は大人の指導で最も悩むところです。仕上げの一定基準はないので、相手の状態を観察しながら進め、今回はこのポイントが達成できれば良いと決めておかないと同じ曲を永遠に弾き続けることになってしまいます。仕上がりの目安は相手によって異なり、動かない指がある場合は当然動かせる指で仕上げ、両手奏がうまくいかないときは左手の伴奏形を簡略化する、あるいは右手奏でOKとするなど柔軟に対応していかないとなりません。
③楽しく練習
受講者に適したレッスンプランを組み立て、必要な練習の意味を説明して理解してもらうと上達が速くなります。このことは音楽もスポーツでも同様です。最近の教材では、伴奏データがついているものがあるので、うまく活用すればゴージャスな伴奏で繰り返し練習ができ、速度調節も可能です。大切なことはいかに楽しく練習してもらうかです。
大人の初心者に対しての指導法は、自分がたどってきた道とは異なるので新たに指導法を学ぶ必要があり、対象者によってアプローチが変わるので臨機応変に対応することが肝要です。レッスンの進め方が速すぎたり遅すぎたり、盛り沢山の内容で消化しきれなかったり、そうした過去の冷や汗がでる苦い経験から失敗を繰り返さないために、下記の項目等をポイントに客観的に自分のレッスンを振り返るようにしています
・レッスンに満足していただいたか?
・楽しいと思える時間があったか?
・レッスンで得られたものはあったか?
・レッスンに来て良かったと思っているか?
(5)生徒から学んだこと
Aさん
大正生まれでご自身が音楽を習おうとは夢にも思わなかったそうです。ピアノは死ぬまでに挑戦したい目標として始められました。奥様の入院先の病院でのロビーコンサートでピアノを弾かれたときに、自分が習ってきたのは、この日のためだったとおっしゃったことが印象に残っています。
Bさん
ご家族の介護で忙しい中、60分のグループレッスンの内、時には30分でも20分でも参加されて仲間との会話で気分転換されています。
Cさん
「弾くことが楽しいか?」と聞かれると、うまく弾けないときは楽しくないが、練習を重ねた後に弾けるようになったときは喜びが大きいと率直に話してくださいました。
Dさん
入会されて1年以上たち打ち解けてきた頃、「実は弾きたい曲がある」と若い頃のロマンスの思い出に重なる曲に挑戦することになりました。その曲をきっかけにモチベーションが上がったことは言うまでもありません。
Eクラス
楽曲の背景や作曲者の思いなど説明したときの反応が強く、曲にちなんだ会話がはずみます。このクラスに限らず楽曲の解説を楽しみにされている生徒さんは多いです。
皆さん 大人になってからの学びは、仕事、家庭とは違う第3のスペースでの別の時間として求められており、特に人との交流を大切にされています。仲間ができるとレッスンが楽しみになり長続きします。また、聴かせたい相手、青春時代を思い出す曲などパーソナルな思いがレッスンを続ける大きな要因となっています。更に曲にまつわる話から、曲に対する関心を深めたり、味わうことが大人ならではの音楽の楽しみ方といえるのではないでしょうか。
3.超高齢社会
日本は現在、総人口に対する高齢者(65歳以上)の割合が28%を超えており、超高齢社会目前です。人生100年時代は身近になり70代もまだまだ現役世代と言えます。老後でのありたい姿として、できる限り若々しく、心身ともに健康で生き生きと社会参加もして学びたいという意欲的なシニア層は増えています。大学では生涯学習の一つとして社会人講座や公開講座に力を入れるようになってきました。初めて携わった30年前は、大人にとってピアノ教室は敷居が高いと思われていましたが、今はどこの教室でも大人の入会者が増えてきています。テレビの「駅ピアノ」「街角ピアノ」の番組も追い風となり、今こそ高齢者の方が気軽に習える時代になってきたと実感します。
4.今後の抱負
コロナ禍により対面でのレッスンが中断せざるを得ない時期があり、生活様式の変化から学ぶことが多くありました。今後はオンラインレッスン(インターネット上でレッスン)を取り入れ、対面とオンライン併用のハイブリッド方式も視野に入れる必要性が高まっています。オンラインレッスンの利点は今まで教室に通うのが難しかった人へも習うチャンスができ、音楽趣味層は広がる可能性があります。せっかくこの時代に生きているのですから、テクノロジーを取り入れ活用しない手はありません。指導者にはますます自由な発想と柔軟性が求められる時代になりました。私は、特に高齢者に対して音楽を通して人生を楽しく過ごしていただくための応援団として尽力して参ります。
(2024年2月28日公開)
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