琴古流尺八竹盟社 尺八・薩摩琵琶奏者 長須与佳(ともか)さん

- ■活動テーマ:
- 子供たちにも受け入れられる和楽器、景色の見える音楽を
- ■目次:
- ■活動開始時期:
- 2001年〜現在
- ■場所:
- 首都圏を中心に国内外
- ■対象:
- 小さな子供から大人まで、趣味・プロ問わず
- ■活動内容
1.尺八との出会い
小学四年生の春、小学校の教師をしていた母が毎週尺八のお稽古に通うようになりました。当時尺八という楽器は何となく知っていましたが、音をすぐに出すことが難しい楽器だとは知りませんでした。35年以上前はまだ小さな女の子が手にするような楽器ではなかったのです。
ある日、母のお稽古に付いていった私に、先生が1本の尺八をプレゼントしてくださいました。今考えてみると、何か意図があったのでしょうか。言われるがまま竹に息を吹き入れてみると・・・「プゥ〜」と音が出てしまったのです。先生は「与佳ちゃん、1回で音が出るなんて天才だよ!!」と驚いた様子で仰(おっしゃ)いました。その言葉を真に受け「そうか、私は天才なんだ」と思ってしまい、その日から尺八を習うようになりました。

2.琵琶との出会い
春に尺八を始めた私は同年の夏にもう一つの楽器、琵琶に出会います。それは祖父母の家から白い布に包まれて出てきた『薩摩琵琶』(*1)で祖父のものです。絃はネズミにかじられていましたが、本体はとても綺麗な状態で残っていました。祖父が習っていた時代は全国各地で琵琶がはやっていたそうで、銭湯へ行けば誰かしら琵琶歌を歌っていたと聞いたことがあるほど人気だったようです。
母は「この琵琶を直して音を聴いてみよう」と言い出し、住まいの茨城から母と二人で東京虎ノ門にある日本唯一の琵琶専門店石田琵琶店を訪れ修理をお願いし、その後千葉県在住の先生に出会うことができ演奏を拝聴することになりました。初めて聴いた琵琶の音色は、小学四年生の私の体が琵琶の胴にスーッと吸い込まれるような感覚で、「私もこんな音を出してみたい。」と、その場で習うことを決めたのです。
*1)薩摩琵琶:室町時代の末、薩摩藩(現在の鹿児島県)の島津忠良公が歌詞を作り、盲僧に曲を作らせ、武士の教養として習わせたのが始まり。昭和になり、琵琶奏者鶴田錦史が楽器を改良し鶴田流を作る。琵琶が世界的に知られるようになったのは1967年作曲家故武満徹の代表作品「ノヴェンバー・ステップス」を琵琶の鶴田錦史、尺八の横山勝也、小澤征爾指揮ニューヨーク・フィルで初演。

3.具体的な活動
(1)先入観のないうちに和楽器を子供たちに届けるには
私は、東京藝術大学音楽学部邦楽科尺八専攻に進学し人間国宝であった故山口五郎師に師事しました。琵琶専攻は四年制の音楽大学ではないため、大学卒業後も琵琶のお稽古へ通う日々を送っていたある日、大きな和楽器体験イベントが開催されました。私は、琵琶と尺八の公演チラシをお客様に配っていると、一人のご婦人が「小さい頃の映画がトラウマで琵琶の音、嫌いなのよ。」とチラシを返され、また他の方には「ダメダメ、尺八は眠くなっちゃって。」と笑いながら去っていかれました。この2つの楽器でプロになろうと思っていた私にとっては、とても衝撃的で悲しい出来事でした。
A.高校での演奏~琵琶はロック
それから数か月後、都内の高校2年生に私の琵琶と尺八を聴いてもらう機会が訪れました。琵琶を初めて視聴する生徒がほとんどの中、まだ古典曲のレパートリーしかない私は、高校生にはつまらない内容なのではと不安に押し潰されそうになりながら演奏しました。緊張の公演が終わり片付けようとしていると、生徒の皆さんが私の所に集まってきてこう言ったのです。「琵琶って、ロックですね。」この言葉はカルチャーショックでした。
その当時生徒は私と2歳しか違わないのに、まさかの琵琶がロック発言に若い方の捉え方がこれほど違うものなのかと言葉を失うほどの衝撃が走りました。そのときに決心したのです。琵琶だから「耳なし芳一」(*2)尺八だから虚無僧(*3)という先入観のある人たちへ新しい音楽の切り口でイメージを自由に持てる人を増やしていくことができるのではないかと強く思うようになりました。
*2)耳なし芳一:盲目の琵琶法師・芳一の平家物語(壇ノ浦の合戦)を基にした話を弾き語りする琵琶の代表曲の一つ。小泉八雲作の怪談で有名になる。
*3)虚無僧:禅宗の一派普化宗の僧侶を指し、編み笠(がさ)をかぶり尺八を吹きながら托鉢(たくはつ)をする。よって最初は宗教儀式で使う法器であったが、明治に入ってから楽器となる。
B.アウトリーチ活動~保育園・幼稚園・小中高・大学
2010年からは文化庁事業巡回公演にも携わり、東京藝大OBが所属する「和楽器オーケストラあいおい」や「邦楽グループ玉手箱」のメンバーとして、全国各地の子供たちに会いに行きワークショップと公演を実施しております。
<演奏における留意点>
個人的にも保育園・幼稚園・小中高・大学などを訪れて、日本の音をできるだけ近い距離で感じていただく活動を続け、特に小さな子供たちには聴きやすくするために、作品の全曲ではなくその中より抜粋した部分を届けるように心がけています。以前、とある小学校へ伺ったとき、隣接している幼稚園の子供たちも聴きに来てくれることになっていましたが、公演前日、急遽(きゅうきょ)先方より琵琶の演奏の後から会場入りしたいとの申出があったのです。
理由を伺ってみると、小学校にお孫さんのいるお祖母様が趣味で習っている琵琶で日本の音を聴かせたいと幼稚園へ訪問し、琵琶の弾き語りを始めると、園児たちは怖くて大号泣してしまったそうです。琵琶の弾き語りといえば、太い声で唸(うな)るように歌ったり真剣な顔をして演奏をしたりします。その姿が園児たちには、怖い声で怒られているように聴こえてしまったようです。トラウマになっているお子さんもいることから、琵琶の演奏は聴かせたくないとのお話でした。「三つ子の魂百まで」私が一番恐れていたことでした。
子供たちに琵琶を聴いてもらう際、子供たちの様子を見てその日の演奏スタイルをその場で判断しています。未就学児が多い場合は演奏中、終始微笑(ほほえ)みは忘れません。演奏前のMCでは、「おしゃべりしている声とは違う声で歌うから笑わないでね。」と話すと琵琶歌が始まった途端、子供たちは面白い顔をしながら最後まで歌を聴いてくれます。演奏が終わり皆目をまん丸にして大きな拍手をしてくれると、最高のご褒美をもらった気分になります。この子供たちが、また聴きたいと思う楽器の一つに琵琶も含まれていてほしい、そう思ってもらえるような演奏や雰囲気作りをしていくのが私たち演奏家の役目であり、責任であると感じています。


(2)和楽器ユニットRin’(リン)
藝大同期女性3人組(吉永真奈・長須与佳・新井智恵)で結成した和楽器ユニットRin’で2004年avexからメジャーデビューし20年になります。箏・17絃・三味線・尺八・琵琶でバックトラック(歌なし)という伴奏音楽に合わせてポップな音楽を演奏し、メンバー全員がボーカルを担当するという前例のないユニットです。
A.CMやテレビドラマ
デビュー曲の「Sakitama〜幸魂〜」はブルボン「チーズおかき」のCMソングとして起用され、私たちもCMに出演させていただきました。故渡瀬恒彦さん主演の刑事ドラマ「おみやさん」では、2枚目のシングル曲「八千代の風」が主題歌となりました。
▼Sakitama〜幸魂〜
▼八千代の風
箏は正座か椅子に座って演奏する楽器でしたが、Rin’の箏奏者2人は立って演奏するスタイルを確立し、私は尺八と琵琶を1曲の中で何度も持ち替えたり、尺八を吹きながら会場内を踊るようにして歩き回るなど、当時はまだ珍しい演奏スタイルを取り入れました。現在は、箏も尺八もこのスタイルはおなじみになってきていますが、いまだ尺八と琵琶・歌を1人で担当する演奏者には出会えていないので、こちらはまだ珍しいスタイルのようです。
B.海外公演
世界遺産での公演や、ジョン・レノンスーパーライブでは尺八のソロを吹かせていただいたり、オノ・ヨーコさん(ジョン・レノン夫人)とも共演する機会を頂きました。オノさんからは「遠慮しないで、思い切りやりなさい」とのお言葉を頂き、デビューして間もない私たちの背中を押していただきました。2006年には北米デビュー、テレビ番組・アニメの主題歌を担当し、開運!なんでも鑑定団ではBGMでRin’の曲を多く使用いただいています。
その後、アメリカ・メキシコ・フランス・中国などで公演を行いましたが一番印象に残っているのはブラジルです。『日本人移住百周年オープニングイベント』に津軽三味線の上妻宏光さんと出演させていただいた公演のアンコールでの出来事です。最後に文部科学省唱歌「ふるさと」を演奏し、私はいつものように客席へ降りて尺八を歩きながら吹いていると、尺八のメロディの1〜2秒後から日本語の歌が会場の至る所から追いかけてきました。
当時、移民1世の皆様は既に旅立たれ、会場にいらっしゃるのはⅡ・Ⅲ世でほとんどの方は母国語がポルトガル語となっている状況でした。しかし両親や祖父母が歌っていらしたのでしょうか、記憶の奥から日本語の歌詞を引き出してくださっているようでした。その日本語の歌がとにかく温かくて、誰かを思い出しているようで、その歌に包まれていると涙が次々とあふれて出て止めることができませんでした。「ふるさと」の歌詞の本当の意味をブラジルで教えていただいた気持ちにもなり、人生で初めて号泣しながら尺八を吹いた忘れられない公演です。

▼和楽器ユニットRin’ 宝輪〜沖縄中城城跡篇〜
(3)尺八・琵琶二刀流でソロ活動
私の基盤はソロ活動です。20代前半、琵琶と尺八どちらの道へ進むのかと聞かれることが多くなっていきました。芸を極(きわ)めることは並大抵のことではないと分かっていましたが、私の中では尺八と琵琶両方あってこそ私の芸道だと思っていたので、どちらか1つを選ぶ選択は全くありませんでした。今でこそ「二刀流」という言葉は良く聞かれるようになりましたが、その当時「絃」(箏、三味線、琵琶、胡弓等)と管(尺八、篠笛、能管、笙等)しかもどちらもプロでという二刀流は前例がないことだったのです。
私は、両方の楽器に真剣に向き合っていきたいと考え、琵琶は毎年熊本県で開催されている和楽器全ての中から一位を決定する「長谷検校記念くまもと全国邦楽コンクール」に出場し、審査員満場一致で第一位を頂くことができました。このコンクールを受けていたとき、琵琶の師匠の元から独立をしたタイミングでしたので、この先琵琶奏者として生きていけるのか、琵琶と距離をおいた方が良いのか悩んでいた時期でした。事情をご存じない審査員の先生から突然「やめちゃ駄目よ、絶対にあなたは琵琶を続けて」という心強いエールを頂き有り難かったです。時々、風当たりの強いこともありましたが、信念を貫いていると藝大同期や先輩後輩が応援をしてくれるようになり、次第に長須与佳という人は両方プロでやっているらしいと認めてくださる方が増えていったように思います。

(4)小椋佳さんとの出会いで学んだこと
①アドリブ(即興)
22歳からシンガーソングライターの小椋佳さんの全国ツアーに二刀流で参加し、47都道府県で演奏させていただきました。ご当地民謡など本番前に小椋さんが急遽(きゅうきょ)歌うことが決まったりすると譜面もない、リハーサルもほとんどできない状態で1000人規模のホールでアドリブで演奏します。プロに成り立ての私はノミの心臓。それでも堂々と前もって準備をしていたかのように振る舞う経験のおかげで、かなり太い毛が心臓に生えたように思います。
②トーク
更に勉強になったのは小椋さんのトーク術です。歌うよりも、話している方が長いと言われるほど面白いトークもファンのお楽しみでした。若い頃私が見てきた公演は、演奏者は緞帳(どんちょう)が開いたら演奏して一言も喋(しゃべ)らず幕が下りるというもの。お客様も演奏に集中して聴くことができる利点があると思いますが、私にはお客様との距離が遠く感じてしまうものでした。
会場を巻き込んで一体感を出す小椋さんの公演にヒントを得て、私の自主公演でも自らお喋(しゃべ)りをして演奏をする進行でコンサートを展開していくと、そのときに感じた気持ちも自分の言葉で真っすぐにお伝えできます。また曲ごとの反応もすぐにわかり、一緒にその曲を共有できている気持ちにもなれるのは、お客様のアンケートからも感じられました。現在は私のトークも楽しみにしてくださっているリピーターさんもいらっしゃるようです。
(5)作曲
プロになってすぐ始めたのは作曲です。なぜならば、1曲の中で尺八と琵琶を持ち替えて1人の人間が演奏できる曲が存在しなかったからです。それならば自分で作るしかない、作るならば郷土愛溢(あふ)れる私らしい曲作りをしたいとスタートさせました。テーマに添った音を奏でていくたびにその曲の情景が思い浮かぶようになり、情景が見えると尺八のアプローチの仕方もどんどん変化していき、感情を音に乗せられるようになっていったのは演奏家として大きな変化でした。
数年前、スウェーデンで公演した際、現地の方から「あなたの尺八は、歌を歌っているように聴こえる。」と言われたことがありました。日本でも、「長須さんの演奏は、いつも景色が見える。」というお言葉も頂き、お客様との共有できることが増えうれしさを感じています。2023年には琵琶のルーツを辿(たど)りながらシルクロードを旅して作曲したアルバム『亜欧の風』をリリースしました。私が作るから私らしい音の流れが生み出せて、それを聴いた方は私の作品だと気づき、楽しんでくださる方が年々増えていらっしゃることは幸せなことだと感じています。
▼長須与佳オリジナル曲『三日月』
4.総括
尺八・琵琶の可能性を追求するため、古典を始めアニメ、演劇、歌手の方、ヴァイオリニスト川井郁子さんや日本舞踊家尾上菊之丞さんの公演など、様々なジャンルの方々と共演する機会を頂いております。全くご縁がないと思っていた歌舞伎「刀剣乱舞〜月刀剣縁桐〜」にも出演させていただき、その琵琶弾き語りをご覧になっていた講談師神田伯山さんがSNSで「長須与佳さんが、途中一人で新橋演舞場に来た観客を魅了してしまった」とつぶやかれたことで多くの反響がありました。その歌舞伎をご覧になっていた3名の方が、今琵琶のお弟子さんとして習いにいらしてくださっています。先入観のある方でも、演奏次第で概念を変えられることを教えられました。私がプロになった頃よりも物事を柔軟に捉えるようになり、今では尺八と箏の二刀流の方もいらっしゃいます。古典もその時代の流れに合った楽しみ方を提供する演奏家も増えており、和楽器を楽しみたい若者を演奏会場でも多く見かけるようになりました。私の周辺では、和楽器の明るい未来を少しずつ感じております。
5.抱負
①子供たちへの啓蒙(けいもう)
和楽器普及を目的とした活動は砂漠の中に種をまいていくようなことなのかもしれません。しかしその中から1つでも芽が出てくれたらと思っております。私たちの演奏をきっかけに和楽器を手に取ってくれる人が増えたらと小さな望みを胸に、今年も茨城・大阪・兵庫・高知・佐賀・長崎・熊本の小中学校へ行って参ります。
②新しい音楽作り
令和に生きる尺八・琵琶の可能性もより追求していきたいです。飛鳥・奈良時代に日本に伝わってからの歴史は長いですが、新たな模索・挑戦を初めてからそれほど長い年月はたっていません。基礎である古典を大切にしながら、まだまだ進化できると感じる楽器たちの可能性を皆様には是非、生で聴いていただき全身で体験いただきたいです。今後、日本の伝統楽器である和楽器に興味を持っていただける人が増えることを信じて精進していきたいと思います。どこかでお会いできる日が来ることを楽しみにしています。
「新しい方角(邦楽)」は日本の伝統音楽の新しい道を探るコラムです。
詳しくは下記をご覧ください。