活動事例

新しい方角(邦楽) 活動事例

感動する箏曲を創作・普及・伝承

(2024年09月25日公開)

生田流箏曲宮城社 二十五絃箏奏者・作曲家 中井 智弥さん

中井さんの写真
■活動テーマ:
感動する箏曲を創作・普及・伝承
■目次:
■活動開始時期:
2001年~現在
■場所:
東京都中心に国内外
■対象:
子どもから大人まで、趣味からプロまで箏・三味線が上達したい方
■活動内容

1.箏と二十五絃箏との出会い

6歳の頃、箏に出会いました。母親の三味線の稽古について行ったのがきっかけです。そのとき、箏の前に座って絃をかき鳴らすと美しい音色に心が震えるくらい感動しました。 それ以降すっかり箏の魅力にのめり込み、プロを目指すため高校生から芦垣美穂先生のもとで地唄箏曲(江戸時代、京都・大阪で作られた三味線、箏での弾き歌いの曲)を学び、東京芸術大学音楽学部邦楽科へ進学しました。

卒業したとき、二十五絃箏(箏は13本の絃だが、この楽器は25本の絃があり中・低音が追加された)に初めて触れ、最初に箏と出会ったときと同じ感動がよみがえりました。二十五絃箏を開発された筝曲家・作曲家の野坂操壽(そうじゅ)先生にも憧れがあり師事すると、ある日突然「私の後を追いかけるだけじゃなく、自分の音楽をしっかり見つめなさい。」と御指南を頂きました。作曲活動はそこから始まります。私の活動は至ってシンプルです。箏の音色の美しさをそのまま伝え、感動を与えたいことが目的です。

私の演奏活動は出身地の三重県でスタートしましたが、ふだん邦楽など聴く機会がない方々に箏を聴いてもらうのは難しいものでした。演奏曲目については現代曲が良いわけでもなく、地唄箏曲の古典曲も難しく、私が勉強してきた曲はすべてお客様にとってなじみがなく、箏の魅力が届きにくかったのです。

2.具体的な内容

(1)作曲こそが自分の武器

前途多難に思われた地元三重での演奏活動も、自作曲を演奏すると感動してくださるお客様が続出しました。公演の評判は良く自信もつき作品が増えてゆくと東京でのライブ活動もはじめ、音楽事務所に在籍することになりました。マネジメントを任せる邦楽アーティストは当時まだ少なく、事務所ゆえに大きな舞台やイベントに出演することができました。

A.能を題材に作曲

二十五絃箏は1991年に開発されて30年が過ぎましたが、私の20代の頃はできて10年ほどでした。それゆえこの楽器のため作られた作品も少なく、ライブに似合う曲などは作られていませんでした。そこでこの楽器の可能性を探求し、すばらしさを普及するため、オリジナル曲を作ろうという思いに駆られました。作曲するにあたり、テーマを何か古典的な題材から得たいと考え、思いついたのは「能」でした。能は芸大在学時に観世流シテ方(主人公)能楽師の野村四郎先生に師事し、能の魅力に没頭していました。それゆえシテ方の心情を箏の音に託したいと思うようになり、第1作目「阿漕(あこぎ)」を完成しました。これは二十五絃箏の独奏曲で、三重県の阿漕平次の民話を題材にした作品です。それ以降、能の曲を数多く手掛けライフワークとなっています。うれしいことに金春(こんぱる)流能楽師の山井綱雄さんと意気投合し共演を重ね、私の曲で能の世界を描く舞台を作ってきました。二十五絃箏で幽玄の世界を奏でることができてとてもうれしかったです。そしてその最終形として、デーモン閣下(ロックバンド「聖飢魔Ⅱ」のボーカルリスト)も加わった「能舞ヰ三重奏」という六条御息所(ろくじょうみやすんどころ)を描いた舞台が完成しました。

B.代表作「花のように」

その頃、事務所を通しての音楽活動は試みたい演奏活動とは異なることが多く、音楽を止めようか本気で悩む時期がありました。しかし、応援してくださる方々や両親・師匠・仲間の顔を思い浮かべると、最後に一花咲かせてからと思いました。そして生まれたのが「花のように」という作品です。

▼YouTube「花のように」

音楽活動断崖絶壁で生まれた作品が奇(く)しくも自分の代表作となり、コンサートの最後にはこの曲の演奏を重ねました。二十五絃箏といえば「花のように」と思ってくださる人も多いと思います。 そして、2011年32歳の頃、音楽事務所から独立し株式会社ジャパトラ(https://japatora.tomoyanakai.com/#firstPage)を設立しました。 箏・二十五絃箏と向かい合い、自分がお客様のために奏される感動の音楽とは・・。―体二十五絃箏と何が合うのか・・・、この後飽くなき探求が始まり、様々なユニットを立ち上げ活動してゆきます。

(2)ユニット活動

「EVA & TOMOYA」
フィンランドのカンテレ(フィンランドの民族楽器で撥弦楽器)奏者 EVA ALKULAとのユニットは2006年に始まり、発展した伝統楽器同士のコラボユニットとして文化交流に努めてきました。現代音楽作曲家にも作品を委嘱し、現代音楽フェスに参加。両国の民謡などもカバーし、オリジナル曲も作って様々な芸術祭・音楽祭に参加しました。フィンランドではメジャーデビューも果たし、CMなども起用されました。

「ジャパトラ座」
語り・邦楽・日本画による映像のコラボユニット「ジャパトラ座」は民話・日本古典文学などを題材に作品を作りました。例えば、さるかに合戦・耳なし芳一・奥の細道・雨月物語・好色五人女など。教育コンテンツとしても展開しました。

「MARU-YA」
2017年三味線奏者の山本ゆきのさんと、お座敷歌エンタテイメントユニット「MARU-YA」を結成。日本の「芸者」という言葉は世界で知られており、その音楽を現代的にアレンジし、バンド活動や芸者とコラボも作りました。

▼YouTubeMARU-YAより「三下りさわぎ」

「ハープ奏者堀米綾とのユニット」
オリジナル作品からクラシック作品、タンゴや南米音楽をカバー。ハープの響きと二十五絃箏の響きが重なったときの余韻の美しさはまるで天国にいるかのような響きです。

「URANUS」
尺八奏者岩田卓也とのユニット。中井智弥作品と童謡などのカバーで11年活動しました。現在休止中。

(3)歌舞伎とのコラボレーション

<ART歌舞伎・META歌舞伎>
歌舞伎俳優中村壱太郎さんとのご縁で、コロナ禍に作られたART歌舞伎・META歌舞伎の音楽を担当しました。現代アート的な歌舞伎を作るにあたり、私の音楽方向性と一致しました。伝統楽器でありながら景色の見える音楽・色彩豊かな音楽・心に訴えかける切ないメロディ・ドラマティックな曲調が映像作品にピッタリ合いました。

歌舞伎ではこれまで三味線音楽が物語の情景や心情を語り歌ってきましたが、二十五絃箏をはじめ和楽器のみで心情や情景を描く新しい試みに携われ、心が躍りました。そして音楽を担当したメンバーだけでART歌舞伎楽団が立ち上がり、ライブ・コンサートやアルバムもリリースしました。

▼YouTubeART 歌舞伎-自らの存在価値を求めて-

<新作歌舞伎刀剣乱舞「月刀剣縁桐」>
日本舞踊家・演出家の尾上菊之丞さんがART歌舞伎を観られ、私の音楽を気に入ってくださいました。コロナ禍の際に日本舞踊協会の【映像配信作品~日本舞踊Neo~】地水火風、空、そして踊という作品にお誘いいただき録音に携わらせていただきました。それをきっかけに、俳優篠井英介さん主演の「天守物語」、元宝塚歌劇団星組トップスターの紅ゆずるさん主演の詩楽劇「沙羅の光」など音楽監督と演奏を務めさせていただきました。

何と言っても歌舞伎俳優尾上松也さん主演の新作歌舞伎刀剣乱舞「月刀剣縁桐」の音楽を担当し、興行でも箏・二十五絃箏奏者として演奏できたことは自分の音楽人生史上最高の仕事内容でした。歌舞伎の興行に二十五絃箏が出ること自体もう少し先のことかと思っていましたが、尾上菊之丞さん、尾上松也さんのおかげで多くの人に私の音楽を知っていただくことができました。その後千穐楽(せんしゅうらく)の公演がシネマ歌舞伎にもなり全国で公開されました。尾上松也さん、尾上右近さんら俳優の皆様からも音楽を称賛していただき、これほどうれしいことはありませんでした。

▼YouTube新作歌舞伎「月刀剣得緑桐」

(4)琉球箏曲と出会い、自分の地唄箏曲の古典音楽の原点にかえる

2017年琉球箏曲に出会い、勉強するために沖縄に通い始めました。琉球箏曲は江戸時代に本土から沖縄に伝わった全10曲と、三線の古典音楽の伴奏や「組踊」の音楽を支える楽器の一つとして確立されています。正確に伝承されてきた琉球箏曲に出会い、昔の演奏にちなむ所作や素朴な音色の方向性を学ぶことができました。そこで、はたと自分の畑である地唄箏曲はどうなんだろうと疑問が浮かびました。考えてみると「生田流箏曲は発展を続け、時代に似合う音楽の形態に楽曲・楽器・演奏法を変容させてきた芸能」だと気付かされました。長い間、地唄箏曲を学んできて演奏家・作曲家としていろいろな疑問があったのですが、一気に解決の道へと進みました。

まず京都に伝わる地唄箏曲の古楽器(柳川三味線と長磯箏)に出会い、それらの楽器で今伝承されている古典曲が作曲されたことを知りました。古楽器だけあって現在使われている箏や三味線ほど洗練感のない素朴な音色ですが、温かさや上方の雰囲気を上品に備えていました。古楽器を学び始めると、現在伝承されている古典曲はテンポが異なり、歌い方も楽器の音色に合わせて歌わなければならないことに気づきました。それらは身体に無理なく、とても長時間演奏できる演奏スタイルだったのです。

大学で学んだ現在伝承されている地唄箏曲は舞台音楽として立派に曲想に仕立てますが、本来の地唄箏曲(作曲当時)はお座敷音楽で、歌も柔らかく耳に優しい楽器の音色を持ち合わせていました。また箏が雅楽から抜け、独奏楽器として確立された時代(1600年前後)に確立された「箏組歌」なども勉強し、箏の大本を知ることで未来にどうしてゆけば良いのか考える知恵が備わりました。

▼YouTube長磯箏・柳川三味線による「六段恋慕」

(5)普及と指導

現在YouTubeでいろいろな方の演奏を目にすることができ、箏を気軽に弾いてみたいなと思ってくださる方も増えましたが、同時に無茶苦茶(むちゃくちゃ)な演奏をする方も増えました。箏という楽器は世界中の弦楽器の中でも弦の張力が最も高く、弾き方や骨格、手の発達度合いにより腱鞘炎や腱板炎、腰痛や首を痛めたりと怪我(けが)が比較的多い楽器です。古楽器の時代にはあり得ないことです。生田流が舞台音楽として成り立たせるために絃が絹からプラスティックとなり、張力を増し演奏法も変わったことが大きな要因でした。

そのような中で怪我(けが)をしないためにできることは、人間の体の使い方を正確に学ぶ必要がありました。そこで私は「運動生理学」を学び、体に負担がない演奏法を考察してまとめ、それをわかりやすくレッスン動画として現在90本近く公開しています。ヒントは琉球箏曲の所作や古楽器の演奏からもありました。正しい体の使い方での反復練習は箏を演奏する手を作り、演奏のミスを減らし、安定感が 増します。プロ活動ではとても大事なことです。曲を膨大に抱え練習するにあたり、長く 安全に上手に演奏する技術は必要なのですから。

<ジュニア和楽器楽団「あまね」>
地元での音楽活動や箏教室は続けてきましたが、なかなか私世代以降の奏者や指導者は生まれるどころか、新たな箏を趣味にしてくれる子供たちがいませんでした。地方の箏奏者の人口はほとんど60代以降で、あと10年したらどうなるか皆さん容易に想像できるかと思います。邦楽界の今後の展望を考えると、とても大きな課題と思っていても何もできないでいた中、ある日地元で箏屋(箏の販売やメンテナンスを行う所)を営む川合拓弥さんからジュニア和楽器楽団を立ち上げたいと相談がありました。文化庁の助成金を使って子供たちにとにかく箏を触れさせたいとのことでした。私は顧問となり指導指針や相談役として関わることになりました。

入会した1年目は研修生として基礎を学び、2年目からは正式な団員となります。指導者は地元で活動されている先生方にお願いしました。流派など異なるので私が指導指針を作り、それに沿って各自指導しやすいように教えてもらっています。練習場所も私の実家をリフォームして解放しています。1年間の研修だけでは到底基礎は作れないので、自宅で練習できるように教本・ドリル・レッスン動画を作成しました。とにかく箏を演奏するのにお金がかかりすぎないよう続けてもらいやすくするために、私ができることは全て行いました。現在3年目を迎え、地元のイベントや定期演奏会などで箏を楽しく子供たちが演奏してくれています。未来の箏奏者がここから誕生することを期待しています。

▼YouTube[子ども箏合奏]さんさんさくら 石井由希子作曲 (箏・十七絃・三絃・尺八)☆ジュニア和楽器楽団あまね☆

3.総括

箏に出会ってその魅力にのめり込み、「自分が感動した箏の音の魅力を多くの人に知ってもらいたい」という素朴な想(おも)いから音楽活動を広げていきました。自分の音楽を追求しながら大本を知る機会も得ました。振り返ってみると古典芸能の伝承者には古典曲と新しい曲の両方を学ぶことが大事で、正に「温故知新」だと思いました。ありきたりな言葉で片付けたくないのですが、このバランス感が必要なのかもしれません。それがあって初めてお客様を納得させ、感動させる音楽を奏でられるのだと思います。

4.抱負

箏奏者として第一線で音楽活動を行ってきて45歳。私は幸いこの時代に生まれ、箏のプロ奏者としてゼロからイチにする機会を多く持ちました。例えばⅰ.立って二十五絃箏を演奏する ⅱ.音響をしっかり入れて舞台美術を駆使した舞台を作る ⅲ.ビジュアルやミュージックビデオなどしっかり作り込む ⅳ.マネジメントを入れて音楽活動を行う ⅴ.ユニット活動など、それは茨(いばら)の道でもありましたが結果豊かな音楽人生へと導いてくれました。

多くの失敗があって今があります。私は同じことを後進たちに要求する気はありません。無駄な努力をせずに素早く私の学んだことを情報として伝え、また新たなものを生み出してほしいからです。生田流箏曲は進化の芸能。正にこれから光のように進化をしてゆき、生き残るには私のような経験が役立つかもしれません。後輩との接触を多く持ち、多くの疑問に答えてゆけたらと思っています。と同時に私もまだまだ新しいものを創造してゆきたいと思います。どれだけ自分にできるか、楽しみながら活動していきます。

「新しい方角(邦楽)」は日本の伝統音楽の新しい道を探るコラムです。
詳しくは下記をご覧ください。

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