<新しい方角(邦楽:日本の伝統音楽)>
沢井箏曲院 箏演奏家、文学博士 東京生まれ フィリピン在住 永井博子さん■活動タイトル:箏はおもしろい!
目次■活動開始年:2015年~現在
■活動場所:フィリピン、マニラ首都圏
■対象:フィリピン大学音楽学部の学生
■活動内容
1.渡比したきっかけ
大学院で人類学を専攻し、対象地域としてフィリピンを選んだことから、研究のために渡比しました。そして現地の大学から教壇に立つことを勧められ在住することに。その後フィリピン大学音楽学部で沢井箏曲院が寄贈した箏に偶然出会い、たちまち魅了されて箏を始めました。沢井箏曲院は、生田流の箏演奏家・作曲家の故・沢井忠夫先生が同じ箏演奏家の妻、沢井一恵先生と共にジャンルにとらわれずに新しい邦楽を求めて1979年に創設され、海外へも積極的に邦楽の普及を行ってきました。1990年代初めに幾つかの海外の大学に箏を寄贈し、フィリピン大学もその中の一校だったのです。
私の箏は始めたのが遅かったですし、海外では習得もなかなかはかどりませんでしたが、2015年に箏コースの担当者として招かれたことが転機となり、箏の指導と演奏活動および音楽研究に専心することになりました。
2.活動の軌跡
他の東南アジア諸国と比べてフィリピンでは在留邦人人口は少なく文化事業も限られます。日本音楽に関する一般の認識は、Jポップやアニメソングが中心です。一方で、知られていないがゆえに西洋楽器などと同等に既成概念なしに音を聞こうとする人たちもいるという印象があります。フィリピン大学音楽学部は、東南アジアでは唯一、箏の実技コースを持っている教育機関です。将来の音楽の創り手を育成する場で学生を相手に教える箏曲は、日本の伝統音楽というだけでなく、彼らの将来につながるものでありたいと考えています。
ここでは2015年からのコンサート活動、ワークショップ他をご紹介いたします。
1)マーヴィン・タマヨ卒業リサイタル(2015年4月)
フィリピン大学アジア音楽課程では、2010年度まで3カ国以上の楽器を含めたリサイタルが卒業の必修科目で、その指導も職務の一部でした。マーヴィン・タマヨは箏専攻課程を修了した初めての学生で、私が指導に入ったときには、ほぼ独学でリサイタルの曲を準備していました。フィリピン大学音楽学部オーディトリアムにて『春の海』(宮城道雄、ヴィオラ専攻学生との二重奏)、『讃歌』(沢井忠夫)、『連なる』(沢井忠夫)などを演奏しました。
アジア音楽課程の卒業リサイタルでは、西洋楽器や他のアジア楽器とのコラボも必須事項だったので、箏のレッスンだけでなく、作曲や編曲の相談にものりました。
2018年には琉球音階で作られた箏三重奏曲『URUMA』(沢井忠夫)を、音階の類似性を利用してインドネシアのガムランとのコラボで演奏した学生もいました。
2)フィリピン大学+シンガポール国立大学箏ワークショップ+コンサート(2015年7月)
シンガポール国立大学の学生と卒業生の箏アンサンブル KotokottoN を指導される北井佐枝子さんと箏ワークショップ+コンサートを企画、フィリピン大学の学生を連れてシンガポールへ。沢井一恵先生が来てくださることになり、加えてシンガポール日本人会の箏の会の方々、タイから箏奏者の坪井紀子さんも駆けつけてくれました。シンガポール日本人会ホールでのコンサートには、笛子奏者タン・キンルンさんが尺八で参加。曲目は『春の海』(宮城道雄)、『鳥のように』&『Kのための斗為巾』(沢井忠夫)、『夢の輪』(沢井比河流)に加え、一恵先生の独奏パートによる大合奏『黒田節による幻想曲』(沢井忠夫)が圧巻でした。
3)箏と尺八ワークショップ+コンサート(2015年9月)
当時マニラ駐在だった箏経験者三吉ゆうさんの発案で、尺八奏者の大萩康喜さんを迎えてフィリピン大学音楽学部にて箏と尺八ワークショップを開催しました。フィリピンには尺八指導者がおらず、フィリピン初のワークショップでした。日本製の尺八はフィリピンではなかなか手に入らないので、愛好家の中には楽器を手作りしている人もいます。大萩さんは尺八を作るプロの製管師でもあるので、ワークショップはまず楽器をどうするかというところから始まりました。
コンサートは『春の海』(宮城道雄)、『壱越』(山本邦山)、『OKOTO』(沢井比河流)、『月の雫』(鯨岡徹)など。
2018年からは神戸在住の尺八演奏家、升田筒真さんがワークショップを受け持ち、コロナ禍が始まってからは、オンラインで対応してくださっています。
4)映画「聖セバスチャン橋」サウンドトラック(2016年公開)
フィリピンの映画監督アルヴィン・ヤパンにホラー映画のサウンドトラックを委託され、箏と十七弦箏だけで映画音楽を制作。若手の映画評論家のグループ YCC により、2016年にフィリピンで制作された映画の中から、最優秀サウンド賞を受賞しました。5)「ともだちが来た」インド公演 (2016年10月)
タンハラン・アテネオという劇団が鈴江俊郎脚本『ともだちが来た』という劇の英語版を上演することになり、箏を使った劇伴の作曲とライブ演奏を依頼されました。マニラでの公演の後フィリピン大学の学生を一人連れ、箏2面を抱えてニューデリー市へ。インド国立演劇学校でのアジア演劇祭にフィリピンチームとして参加しました。6)「鳥のように」コンサート(2017年4月)
この年からコロナ禍が始まるまで、毎年、学生で構成されるTUGMA 箏アンサンブルと、「好きな曲を思いっきり弾こう」という目的でコンサートを開催しました。2017年のコンサートでは、沢井忠夫作曲の『鳥のように』と『鷹』の群奏に、『囀り』、『響』(以上2曲、沢井忠夫)、『炎』(水野利彦)、『土声』(フルート専攻学生との二重奏)、『上昇の彼方』(以上2曲、沢井比河流)をフィリピン大学音楽学部オーディトリアムで演奏しました。西洋音楽が主流の音楽学部で箏曲の芸術性の高さと現代性が認識されるようになり、音楽教育科や楽理・作曲科などの学生も副専攻に箏を履修するようになりました。
7)West Meets East: シューマンx沢井 コンサート(2018年2月)
フィリピン大学音楽学部主導のコンサートシリーズの一部として、ロザダ・ピアノトリオ(ピアノ、バイオリン、チェロ)とTUGMA箏アンサンブルの合同でコンサートを開催しました。学部長がつけたタイトルでは、従来の西洋音楽主流の傾向に対してアジア音楽が対等の芸術として位置付けられ、お互いに影響し合っていくという展開が示唆されています。演奏がそれを体現していたかどうかは別として、筝パートは『砂絵』(沢井忠夫)、『上昇の彼方』、『吟遊歌』(沢井比河流)などの他に、ロンダリア演奏家デイブ・ダクタの編曲で『OKOTO』(沢井比河流)をピアノトリオと共演。
https://www.facebook.com/UPTUGMA/videos/1798982823501505
8)Koto Transformation コンサート(2018年9月)
オーストラリア在住の箏演奏家小田村さつきさんのKoto Transformationコンサート・ツアーに参加しました。サツキ・オダムラ箏アンサンブル、タイ在住の坪井紀子さん、シンガポール在住の北井佐枝子さんが一緒のツアーで、シドニーとメルボルン公演には、沢井一恵先生とマクイーン時田深山さんも日本から参加しました。オーストラリアでの曲目は、サンディ・エヴァンズさん、リサ・リムさん、イアン・クレワースさんなどオーストラリア作曲家の曲を中心に、一恵先生の独奏パートで大合奏の『ファンタジア』(沢井忠夫)なども加えたプログラムでした。
シンガポールとマニラ公演では、エヴァンズさんの曲や『二つの群のために』(沢井忠夫)などを学生たちと一緒に演奏しました。
フィリピン大学音楽学部オーディトリウムで開催されたマニラ公演では、さらに現代音楽作曲家ジョナス・バエズさんに曲を委託。箏とチェロの二重奏曲『Poesie』は、小田村さつきさんとフィリピン大学シンフォニーオーケストラのジョセフ・ヘルナンデスさんの演奏で、世界初演となりました。
9)「月が姿を見せるとき」フィリピン少数民族のダンスと箏のコラボ (2019年12月)
フィリピン大学アジア研究所教授でフィリピン少数民族バジャオ族のダンスの実践家でもあるマシュウ・サンタマリアさんとは、2007年からダンスと箏のコラボを始めました。2019年の「月が姿を見せるとき」は4回目のコラボ作品で、フィリピン大学音楽学部オーディトリウムで、十七弦箏によるインプロビゼーションを演奏しました。マニラ在住のバジャオ族の人々も聞きに来ており、貴重な交流体験となりました。
10)Strings of Hope リモート動画プロジェクト (2020年4月)
コロナ禍が始まってロックダウンとなり、日常生活の喪失感の中で、こんな状態でもできることをしよう、それで少しでも元気になれればという思いで、オーストラリアの小田村さつきさん、タイの坪井紀子さん、シンガポールの北井佐枝子さんと、リモート動画プロジェクトを企画しました。第1弾は『OKOTO』(沢井比河流)で、オランダの後藤真起子さん(2021年に急逝)、ドイツの菊地奈緒子さんなど、海外を拠点に演奏活動をしている13人に連絡をとり、初めての経験ながら自分たちで編集をやって動画を制作。
第2弾は沢井一恵先生を招いて作った『花筏』(沢井忠夫)で、『OKOTO』動画に参加した13人の生徒さんたちばかりではなく、さらにニューヨークの石榑雅代さんが27人の生徒さんを引き連れて参加、世界の箏弾き100人をつなぐプロジェクトとなりました。 フィリピンからは4人が参加しました。
3.フィリピンの人々の反応は
フィリピンでは、コンサート会場に足を運ぶのは限られた層の人たちが多いので、コンサートでは、箏もポップ系のアレンジ曲よりは、現代箏曲または古典や宮城曲が評価される傾向があるように思います。その一方で、1990年代からのアニメ人気は今も健在で、若い世代の日本文化に対する興味は継続中です。小学生や中学生を対象にした箏ワークショップでは、レクチャーの後、楽器に触ってみたいと子供たちが走り寄ってくるほど興味を示してくれます。高校箏クラブのアニメ『この音とまれ!』の影響力は大きく、TUGMA 箏アンサンブルの演奏動画の中でも作中オリジナル曲『龍星群』(橋本みぎわ)は視聴者数第1位となっています。この動画を見て箏をやってみたいとメッセージを送ってくる人たちもいます。
4.総括
近年、遺品整理などで日本の中古家具などがフィリピンにも送られてきて、そうした品を扱う店が多数あり、箏が売りに出されていることがあります。少し前までは戦前のものかと思える古い楽器が多かったですが、最近では糸(絃)も比較的新しく、十分に使用に堪えるものを手頃な値段で手に入れることができるようになってきました。残るは糸締め(絃を張ること)ですが、日本では絃のメンテナンスはお琴屋さんに頼むのが普通です。絃が1本切れただけでも自分で張り替えるのは難しいのです。フィリピン大学では琴屋さんを招いて糸締めのワークショップをしたことがあり、卒業生の一人がある程度できるようになったのはとても幸運でした。
まずは楽器へのアクセスとメンテナンスいう基盤があってこそ、箏を広げていく可能性も生まれると思います。
フィリピン社会一般の事情として楽器の個人指導を受けるのは経済的に難しい家庭が多いようです。フィリピン大学は国立で学費無料ですが、学校に来る交通費にも事欠く学生がいるのも事実で、学内には昼食代と交通費分を補う奨学金があるほどです。
また楽器を習ってどうするのか、将来的な展望がないところでは、ただ「上手くなる」「曲を弾けるようになる」ということだけでは、モチベーションの継続を支えきれません。大学での箏指導は時間的な制限があり、また卒業後も続けようという学生は稀です。
しかし、大学時代に集中して学んだことは、その後の社会生活の基盤として残っていく可能性が高いように思います。一般の人たちへの普及ということも考えないわけではありませんが、箏というキーワードでつなぐことのできる人材を育成する場として、フィリピン大学音楽学部は重要なポジションにあると思っています。
加えて、日本人にとっての邦楽と外国人にとっての邦楽(日本伝統音楽)は違うものではないかと考えます。海外の場では邦楽の習得・普及だけを目的に進むのでは不十分なように思います。フィリピン大学の学生も、私自身も、演奏は決して上手くはありません。でも、みんな「箏はおもしろい」という気持ちは同じです。学習者が受け手になるだけではなく、どんな形にしろ、発信者として自分なりの音楽を創っていく機会があり、「楽しい!」と思ってこそ、音楽は現在進行形で続いていくのだろうと思います。
5.これからの抱負
フィリピンでの箏普及は、やる気満々の若者たちが目の前にいても、さまざまな要因に阻まれてなかなかに難しいところです。ではどうしたらいいか。その答えはまだ見つかっていませんが、国内で無理ならグローバルからアプローチする、つまり、オンラインや文化交流のファンド、留学機会、邦楽の国際ネットワークなどを活用するという発想の転換があるのではないかと思っています。
しかし、まずはコロナ禍で2年間閉鎖されていたレッスン場と楽器の整備、入学してからオンラインのレッスンばかりで、対面の合奏を一度も経験していない生徒たちへの対策、そして自分自身の演奏活動の再開が当面の課題です。
「新しい方角(邦楽)」は日本の伝統音楽の新しい道を探るコラムです。
新しく斬新な試みで邦楽(日本の伝統音楽)の世界に新しい息吹を吹き込んでいる邦楽演奏家の方やその活動などをご紹介し、邦楽の新しい方向性を皆さんと共に模索しています。
「新しい方角(邦楽)」
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